こんにちは、
よーちゃんです。
先日、東映の手塚治氏が急逝とのニュースがありました。
ふと、「レジェンド&バタフライ」が東映だったことを思い出し、調べてみました。
すると、こんな記事を見つけました。
木村拓哉、急逝の東映・手塚治社長に感謝 信長演じる夢を「かなえてくださった」黙とう捧げる
手塚さんは映画「レジェバタ」にも深く関わっていた
俳優の木村拓哉が15日、都内で行われた映画『レジェンド&バタフライ』オンライン・ファンセッションに登壇。イベント開始前、会場では関係者らが14日に訃報が伝えられた東映・手塚治社長(享年62)へ黙とうを捧げ、木村も故人を悼んだ。
1月27日に全国の映画館で公開を迎え、公開9日間で興行収入10億円を突破するなど“レジェバタ旋風”を起こしている今作。この日は公式SNS上で実施している期待・感想投稿キャンペーン「天下布武キャンペーン」に参加し、“地方宣伝大名”に任命されたファンがオンラインで参加し、木村、大友啓史監督とトークイベントを行った。
14日には、東映社長の手塚さんの死去が発表されたばかり。手塚さんは東映70周年記念作品を銘打って製作された同作にも製作陣として名を連ねており、昨年行われた製作発表会見では同作にかける思いを熱弁する場面もあった。
木村はイベント開始前に手塚社長に黙とうを捧げ、「僕が(過去に)京都・太秦の撮影所でお世話になってその場を後にするときに、本音半分・冗談半分というか。照れくさくて、しっかりと別れのあいさつをするのは恥ずかしくて……。『次戻ってくるときは信長として戻ってきたい』と伝えさせていただいたのを、今回この作品でかなえてくださった」と回顧。「黙とうしながらも、改めて、ありがとうございますとずっと思っていました」と生前の手塚社長の働きに感謝していた。
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木村さんの思いがひしひしと伝わります。
撮影が終わり、いざ上映へ。
評判も上々な中での訃報でした。
「レジェンド&バタフライ」の作品は他のページでたびたび紹介させていただいていましたが、スタッフは紹介しておりませんでした。
ここで、故手塚治氏を紹介させていただきます。
「レジェンド&バタフライ」
制作会社・・・東映京都撮影所
- 監督
大友啓史 - 脚本
古沢良太 - 音楽
佐藤直紀 - 製作
手塚治、藤島ジュリーK.、早河洋、高木勝裕、金岡紀明、與田尚志、村松秀信、相原晃、中山正久
手塚 治(てづか おさむ)
1960年3月1日~2023年2月11日
千葉県木更津市出身。
実業家、テレビドラマ・映画プロデューサー。
東映株式会社代表取締役社長。
名前の「治」は漫画家の手塚治虫とは関係なく、一家は名前に部首がさんずいの漢字がある傾向であったためで偶然だそうです。
実家は新聞販売店。
学歴
木更津市立木更津第一小学校卒業。
木更津市立木更津第一中学校卒業。
千葉県立木更津高等学校卒業。
青山学院大学文学部卒業。
高校、大学は映画研究部に所属していました。
映画と出会って
地元には映画館木更津東映がありました。
2本立てで2週間ごとに作品が変わっていたそうです。
手塚さんは欠かさず見に行ったそうです。
このころから映画への思いがあったのでしょうか。
東映への道へと進みます。
東映へ
1983年に大学卒業後、東映に入社しています。
入社試験を受けたのは東映一社のみでした。
東映だけがプロデューサーと一般職の職種別採用というのが理由だったそうです。
映画よりもテレビドラマが一般的になっていた時期だったので、希望してドラマ制作部門に配属となりました。
先輩プロデューサー中曽根千治さんの下での『スケバン刑事』シリーズを担当。
フジテレビの若者向けドラマを数多く担当しました。
その後、チーフプロデューサーとして『味いちもんめ』、『京都迷宮案内』、『科捜研の女』、『大奥』などの多くのヒットシリーズを手がけることになります。
2010年6月執行役員(テレビ第一営業部長委嘱)就任します。
2012年6月には取締役。
2016年6月常務取締役(テレビ事業部門担当テレビ企画制作兼テレビ第一営業部長委嘱)を歴任します。
2020年6月26日に開催された株主総会及び取締役会の決議を経て、相談役に退いた多田憲之さんの後任として社長に就任しました。
ところが、
2021年6月から病気療養のため、通院治療が始まります。
手塚さんは通院治療を行いながら仕事を続けることを公表しています。
手塚はがんを患っており治療による脱毛の症状が出ていましたが、亡くなる前週も陣頭指揮を執っていたそうです。
2023年2月11日、肺動脈血栓のため、死去しました。
訃報は同月14日に東映から公表されました。
まとめ
手塚さんは東映に入社して、現場からのたたき上げで社長に就任。
しかし、社長としたはわずか3年足らずでした。
やりたかったことは多かったはずです。
さぞ、悔しかったと思います。
その間、木村さんと出会い、映画を製作するという仕事を成し遂げました。
心よりご冥福をお祈りします。
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